ィグとアクバル蛇の道。

『ジェーィ』については、簡単にではあるが、既に他に論じたこともあるので、ここでは『トマシーナ』を取りあげることにした。ギヤ、ソコの作品は、現代人のた、ましいの(いや)癒しの問題を取りあげているものが多く、共感させられる。ただ、伏線の張り方、人物のからみ合い、全体的構成などあまりにうまく出来すぎているところがあり、みすみす作者の術中にはまっていくような感じがして、抵抗を感じることもあるが、それを押し切って感激させられてしまう。大変な筆力である。『トマシーナ』もそのようなところがあるが、やはり傑作だなと思う。猫のトマシー‐ナを飼っている獣医のアンドリュー・マクデューイとその娘、メアリ・ルーダとの間に繰りひろげられる葛藤が描かれるのだが、その合間、合間にトマシーナの独白が入るという形をとっている。つまり、人間世界のドラマが「猫の目」を通して語られることによって、全体の構図が立体的になってくる。しかも、そのなかでトマシーナが一種の「変身」をも体験するのだから、実に多様な視点から現象が見られることになって、興味はつきない・どこかで、ホフマンの「牡(おす)猫ムル』を思わせるところがある。

よげんどうりにいけばみんなもおどろく。ぼくは、ばかではない。字は、わざとちがうようにかくからわかんない、しもんもつけない。いくらけいかいしても、そのどまん中で、もやして、みせてやる。ああなったら、こうすると、全ぶ計画をたててある。かならず、かってみせる。それで、きょうふのどんぞこに、つきおとしてやる。よげんしないで火をつけるなら、ばかでもできるし、ひきょうだ。あやまるまでやる。わるいのはぼくではない〉(原文通り、改行は筆者) 第二章布石この脅迫状は平仮名と漢字を中心に構成され、句読点を数多く使っており、漢字混じりのカタカナを主体とした多磨農協への脅迫状とは少し、趣を異にしていた。さらに、日本信託に送られた脅迫状が切り貼りを用い、句読点なしの文面だったことや、脅迫状を届ける方法が郵送、置き手紙と違うことから、脅迫事件と三億円事件は同一人物の犯行ではない、との意見があったのも事実である。

実はこの評価基準はいくつかの短所を有しているである。一つ目は、財務的数値のみを重視した評価基準であるということである。確かに財務的数値は企業にとって重要な数値ではあるが、財務的側面のみを評価していては、今日のような複雑化してきた組織を評価することはできないからである。86 第6章業績評価基準顧客満足を得て業績を向上させるためには、組織としての製品やサービスの品質や変化への対応力など、時間や品質“についても評価しなければならないのである。残念ながら、財務的数値からはこれらの情報は読み取れないのである。二つ目は、財務的な実績の把握では遅いという問題がある。コストが発生した段階では、すでに問題は生じてしまった後である。これは月次ベースや日次ベースでの評価が重要であるというような把握のタイミングを意味しているのではなくて、なぜ戦略上不要なコストが発生したかという原因を提示できる評価基準が本当は必要なのである。

手持ちのお金を増やしたいのはだれも同じだが、これからは、今までと違う心がまえも必要だろうし、年寄りだからわからない、ともいってはいられない。自分のお金は自分で守らなければいけない時代に入るのだから、頼りにするのは、視野を広げて、不得意であっても、せいぜい金利のことなど勉強もし7 なければならないであろう。こんな時期には「もうかりますよ」と、甘い言葉でお金を引き出すだまし商法も増えるのだから、欲張るよりは、まず判断力であろう。あなたは、どんな貯蓄を選ぶのかと姪に聞いたら、あっさりと「利子は安いし、ダンス貯金がいいかもしれないわね」という。ふたりで大笑いした。何かの折に必要があったときにと、ぜいたくを抑えて作ったわずかばかりの貯金を、どう工夫してみても、大きな力にはつぶされていくのかもしれないが、いつの時代でも、損をするのは、ささやかなしあわせを大切にしている私たち庶民なのだと思った。